自分の欲求に耳を傾ける‥

自分の欲求を切り捨てているとどうなるのでしょうか?ぜひ考えて見てください。その答えは、自分にせよ、他の人にせよ、<誰かにツケがまわってくる>ということでです。
つまり、欲求を切り捨てると、誰かが我慢しないといけなくなるのです。ここではそのうち最も頻繁にみられるケースを5つご紹介します。
① 個人的な事柄に関して決断できない
これは例えば仕事のことなら何の問題もなく決断できるのに、もっと個人的なこと ― 愛する人や親しい人のことになると、急にどうしていいかわからなくなってしまう‥、ということです。
その結果、誰かが自分のかわりに決めてくれないものかと願ったり、自分の気持ちを理解しようともしないで、無理やり決断を下してしまったりします。これについては、このあとに出てくる実例でまた詳しくお話します。
② 人の目を気にする
これは<自分が本当は何を望んでいるのか>ということがわからなくなるということがわからなくなった結果、他人の物差しで自分を測るようになるということです。
しかも、その物差しというのは、ただ勝手な思い込みに過ぎません。
私たちは本当のところを確かめもせずに、<人はきっと自分にこうしてほしいのだろう>という思い込みで行動してしまうのです。「こうしないと、なんて言われるか」というふうに考えて‥
そうして、そんなふうに人目を気にして自分をすり減らしては、流行りに引きずられたり(みんながそうするから、私もそうする)、様々な依存症に陥ったり(お金、権力、セックス、アルコール、そして現代ではインターネットも)、権力の奴隷になったり(会社の言いなりになったり、確かに命令されるまま行動したり)するのです。
実際、私はこういう依存症に苦しんでいる人たちにたくさん会ってきました。
しかも、その中には自覚のないままにそれをしている人たちも大勢いました。
私が思うに、<欲求を切り捨てたツケ>の中でいちばん多く、またいちばん人々に認識されていないのが、この<人目を気にする>というケースではないかと思います。
③ いい人になる
自分の欲求を切り捨てている人は、そのかわりに<人の欲求を満足させる>ことを身につけています。
つまりギル・コルノー(ユング研究所にて研究を行っている)が言うように、礼儀正しく親切な<いい人>になろうとしていて、いつでも自分以外のあらゆる人の気持ちを考えようとするのです。
ところがそんなふうにしていると、ある日、なんとなく自分の欲求が満たされていないことに気づくのです。そうなったら、当然のことですが、それを誰かのせいにし、自分のことを気にかけてくれないと責めずにはいられません。
こうして、私たちは前にもお話したように、<暴力的コミュニケーション>を誰かに対して行ってしまいのです。つまり今までとはうってかわって、まわりの人を「私がこんなにやっているのに」とに恨んだり、私には何もしてくれない」と非難したりするのです。
あるいは、その不満を社会にぶつけるようになります。「こんな苦労するのは不景気のせいだ」と‥

自分の欲求を知ることの意味‥
欲求というものは、それを知ったからといってすぐに満たされるものではありません。
実際、皆さんの中にもそのことがよくわかっていて、「どうせいつまでも欲求不満が続くのに、自分の欲求を知ったところでなんになるの?」と考える人が多いでしょう。
「自分の欲求が何かに打ち込むことだとわかったとしても、打ち込む対象はそんな簡単に見つからない」と言いながら、一生、あちらこちらへとカルチャースクールをさまようのがオチです。
しかし、それでも私たちは<自分の欲求を理解すれば、例えそれが満たされなくても心が軽くなり、驚くほどの満足感が得られる>からです。
人間というのは、何で苦しいのかわからない時がいちばん苦しいのです。
反対にいくら苦労しても、その原因がわかれば、混乱は避けられます。
例えば、なんだかお腹が痛いけれど、その原因が分からない‥
そんな時は誰だって、不安を募らせうろたえるでしょう。「どうしたんだろう?もしかしたらガンなのかも‥」
もちろんお医者さんに行って、原因は消化不良ですね」と教えてもらったところで痛みが引くわけではありません。でも、自分の体がどうなっているのかわかればひとまず安心できます。少なくとも混乱から抜け出せるでしょう。
これは<欲求>についても同じです。
自分の欲求を理解すれば、わけもわからず不安な思いを抱えなくてもすむようになります。
もうひとつ、自分の欲求を知ることの良い点は、<何をしたらいいのかがわかればそれを満たす方法も見つけられる>ということです。
反対に、何をしたいのかわからなければ自分でもどうすることもできません。
その結果、私たちは他の人に期待してしまいます。
自分で自分の欲求をわかろうとせず、誰かが自分を喜ばせてくれるのを当てにしているのです。

自分の欲求に気づくのは難しい‥
ここで自分の欲求に気づくのがどれほど難しいことか、またその欲求を伝えることがどれほど難しいことか、その問題をいくつかの実例を見ながら考えて見ましょう。
なお、このセミナーでは、これからたくさん実例をご紹介しますが、プライバシー保護のため、名前は変えております。また、会話も重要な部分だけ伝わるようにして、実際のものより短くまとめています。
それから少し会話がそっけないように思えるかも知れませんが、これは普段私たちがしている会話の調子をそのまま再現しました。ひとことお断りしておきます。
<自分のことをわかってくれないと嘆く奥さんの例>
ある奥さんが私のところに訪ねてきて、こう話しました。
「主人は私の欲求を全然わかってくれないいんです‥」
「なるほど‥」と私は答えました。「それでは、ご主人にわかってもらいたいという欲求はなにかをご主人に話していなのですか?」
「どうして私が?私の欲求をわかってくれないのは主人なんですよ!」
つまりあなたは、自分でもどういうものかよくわからない欲求をご主人に気づいてほしいと思っているわけですよね‥」
「その通りです」
「そんな謎々遊びのような結婚生活を長いことしているんですか?」
「はい、結婚して30年です」
「それじゃあ、もう疲れてクタクタでしょう?」
「ええ‥ もう限界です」と言いました。
私は続けて話しました‥
「そこまで疲れてしまったのは、ご主人にわかってほしい、支えてほしいと思っているからでしょう。それこそ、あなたがずっと望んできたことじゃないんですか?」
「まさにそうです」
「そうですか。でも、心配ですね‥ このままの自分の欲求が何かがわからず、ご主人にちゃんと説明することもできないなら、これから先もずっとご主人がわかってくれるのを待ち続けることになるんじゃないですか?」
奥さんは、しばらく泣いていましたが、やがてこう言いました。
「そうですね、わかっていないのは私のほうでした。でも、私が育った家では『ああしたい』、『こうしたい』というのはいけないことだったんです。だから、私も自分の欲求が何なのかわからなくなって‥ そんなふうだから、自分の本当の気持ちを伝えようともしないで、ただ的外れに夫を責めて‥ そんなふうだから、自分の本当の気持ちを伝えようともしないで、ただ的外れに夫を責めていたんですね。心の奥底では、主人が精一杯やってくれているのはわかっていたのに‥ お陰で主人は腹を立て、私は私でへそを曲げていたんです。こんなの悲劇だわ!」
そこで私たちはご主人も含めて、お互いが理解し、自分たちの欲求を明らかにできるよう、じっくり話し合いました。
この奥さんのように、決して自分から手を差し伸べようとせず、ただ誰かが気にかけてくれるのを待っている人は、しまいには自分を受け入れることができなくなり、助けを求めてじたばたともがきなが苦しむことになります。人との関係を改善するためには、自分自身との関係を見つめなおすしかありません。
<奥さんに感謝を求めるご主人の例>
では、ここでもうひとつの例をあげてみましょう。
今度は、ある男性が奥さんに対する不満を漏らしている例です。最初にご主人と私の会話から‥
「うちの家内はちっとも私に感謝してくれないのです!」
「そうですか。奥さんに感謝してもらいたいのにしてもらえない。だから怒っているんですね?」
「そうです」
「どんなふうに奥さんに感謝してもらいたいのか、教えてもらえませんか?」
「え?いや、そこまで考えていませんでした」
「それじゃあ、奥さんにだってわからないでしょう!いいですか?どんなふうに感謝の気持ちを表してもらいたいのか伝えないで、ただ待っていても何にもならないと思いますよ。奥さんにしたって、気の休まるときがないでしょう。きっと感謝の言葉をせっつかれているような気がして、かえってどうしたらいかわからないんですよ。おそらく、そんなふうに感謝の気持ちを求めれば求めるほど、奥さんは逃げ出してしまうんじゃあるませんか?」
「まさにそうです」
「それじゃあ追いかけっこですね。でも必死で追いかけてばかりじゃ疲れるでしょう?」
「疲れます」
「でも、それも本当は、<奥さんと心を通わせたい>、<もっと身近に感じたい>と思うからなんじゃないんですか?」
「はい」
「それなら、具体的にはどういうことを、どんなふうに感謝してもらいたいのか、奥さんに説明してみてはどうでしょう?」
私はこの夫婦と<欲求>だけでなく具体的な<要求>についても、じっくりと話し合いました。
この男性はどんなに仕事が辛くても一家の暮らしを支えるために頑張ってきたのに、そんな長年の努力を認めてもらえないし、感謝されてもいないと感じ、傷ついていました。それで奥さんにずっと不満を持っていたのです。
「僕の努力をちっともわかってくれない。 僕がどれだけ苦労しているかなんて考えたことがないんだ」
いっぽう奥さんのほうは、そんな非難を感じるたびに頑なになり、ご主人と向き合うことができずに苦しい思いをしていました。そこで結局、私はこう提案することにしました。
「奥さんが長年の努力をわかっているのかどうか、家族のために必死で頑張ってきたことに感謝しているのかどうか、知りたくありませんか?」
「はい‥ それこそ私が妻に訊きたかったことです」
「では、奥さん、お聞きのとおり、ご主人は自分の努力に対して感謝してほしいそうです。もう少し具体的に言いましょう。ご主人は自分の努力をわかってくれているのか、感謝してくれているのか知りたいそうです」
「もちろんわかっていますし、感謝もしています。でも、なんて言ったらいいかわからないんです。それに、どうせ言っても聞いてもらえないんじゃないかと不安になって‥ そうやって悩んだあげくに、おっしゃる通り、黙り込んでしまったり、別のことを始めて逃げ出したりしまったりするんです」
「つまり奥さんとしては、ご主人の努力をわかっているし、深く感謝している、それをご主人にわかってもらいたいんですね」
「そうなんです!ありがたいと思っています。本当は感謝の気持ちで胸がいっぱいなんです。でも主人は気を悪くしてばかりで、そんな私の気持ちには全然気がつかないみたいなんです」
「では、ご主人。奥さんはご主人の努力をありがたいと思っている、感謝で胸がいっぱいだということですが、それを聞いてどう思いますか?」
「私も胸がいっぱいです。それに心が軽くなました。感謝されていないと思い込んで不満ばかり言っていたから、なんにも気づかなかったんですね。本当はいつも感謝の気持ちを表してくれたのに‥ 結局は、私まで自分の殻に閉じこもっていたんですね」
二人はこういう意識を持つことで、ずっしりと心にのしかかっていた重荷を取り払うことができました。